空手道 柴田和道会

全日本空手道連盟柴田和道会のブログです。

 峠越え

国内には、3千を越える峠があるそうです。日本は山国なので、村と村、町と町を行き来するために峠道は栄え、使われなくなった峠道は廃道となり、いつしか地図からも名前が消されていきます。峠には多くの歴史があり、風景も様々で大きな魅力を感じています。

退職し時間的に余裕ができたので、この機会にできる範囲でたくさんの峠に立ち、記録を残そうと思います。よかったらご覧下さい。

☆記事の新しい順に載せています。

NO.79 笹ノ峠 標高550m  宮城丸森町筆甫-福島県霊山町 2023.12/22

笹ノ峠は、筆甫と霊山を結ぶ県道45号線上にあります。

「笹ノ峠には、旅人の通行安全を守る狼がいる、、、。」そんな伝説があるそうです。

また一応県道ではあるが、峠は車両通行不能という情報でした。

行けるところまでバイクで行き、あとは徒歩で向かうことにしました。

 

令和4年3月に、筆甫小学校が閉校になっていました。閉校を目にすると、子供達が元気に過ごす様子が目に浮かび、寂しい思いがします。

仮面ライダーの人形は、子供達や地域の人たちを励ましているようです。

 

筆甫地区は、四方を山に囲まれた自然豊かなところです。

砂利道に入ってすぐ、道路脇にイノシシが檻に入っていました。こちらを睨み、檻に体当たりをして今にも出てきそうです。

バイクを停め、歩いて登ることにしました。

道は落ち葉が積もり、葉の下には大小の石がゴロゴロしています。道わきに軽トラックが朽ちていました。

道わきは崖ではないので、バイクでも走れそうな気もしましたが、峠が近づくとしだいに笹が道を覆ってきました。

熊のニュースを毎日のように聞くので、(万一出たらどうするか、、。ま、その時はその時)と、ちょっとびくびくしながら進みました。

時おり、カラスの鳴き声が聞こえるくらいでとても静かな山道でした。

約40分ほど歩き、ようやく笹ノ峠に無事到着。最後の方は一面の笹をかき分けて進みました。峠になぜこの名前が付いたか納得です。

 

宮城県側 道が熊笹に隠れています。    

宮城県側にもうひとつ道がありました。こちらの方が整備されています。

福島県側は、笹に覆われていて、10mほど下ってみましたが道がどこか分からないほど荒れていました。ここから400mほど先に、霊山側の少し広い道(県道45号線)に出るようですが、今回は戻ることにしました。

 

福島県

峠近くにあった祠。大きな岩の脇にたたずんでいました。

この峠を行き来する人々の安全を祈願して、祀られたのでしょう。

当時の様子が偲ばれます。

 

NO.78 葡萄峠 標高270m  新潟県村上市北中-村上市塩野町 2023.10/25

この日、8つめの峠、葡萄峠へ向かいました。

雨坂峠を下り、国道7号線に出て左折。さすがに国道は交通量が違います。

夕刻なので、仕事の途中または帰路へ向かうのか、全体的に速めのペースで車が進んでいました。旧道近くにある葡萄トンネルを通過し、折り返して旧道に向かおうとしましたが、残念ながらすぐ通行止めの表示があり、峠へ行けませんでした。今回も、峠近くのトンネルを写真に残しました。

 

葡萄トンネル 塩野町側 道路脇のスペースがほとんどなく車内から撮影

葡萄トンネル 北中側

 

 

 

NO.77 雨坂峠 標高190m  新潟県北町北黒川-新潟県北町荒川 2023.10/25

雷峠の下りは一車線の日中でも暗く感じる道でした。県道52号線から県道248号線へ。道幅が広がり、走りやすくなりました。

県道249号線に出ました。「北中府屋停車場線」とも呼ばれています。

雨坂峠まであと800m

カーブが少なく道幅もあり、走りやすい道。

 

雨坂峠 荒川側   

黒川側 道路脇にはススキが生い茂っていました。

 

 

 

 

NO.76 雷峠 標高298m  山形県温海町関川-新潟県北町雷 2023.10/25

雷峠は「いかづちとうげ」と読むそうです。県道52号線上にあり山形県新潟県の県境にあります。1960年(昭和35年)にこの道路は開通、その前は違う雷峠があったそうです。山深く、キツネが化けて出る伝説があります。

 

関川トンネルの次にこの峠へ向かいました。

途中、「関川しな織りセンター」を見学。関川地区は、しなの木の皮の繊維を糸にして織る「しな織り」は、1000年以上の伝統があるそうです。

国道345号線を左折し、県道52号線に入りました。

舗装はされていますが、細く見通しの悪いカーブが続きます。すれ違う車は全く無し。

 

峠に到着。立派な碑がありました。峠を目指して来たので、現地で峠名を見るのはありがたいです。峠を越えたところに、「雷」という集落がありました。

新潟県

山形県

 

NO.75 関川峠 標高289m  山形県鶴岡市関川-鶴岡市越沢 2023.10/25

大日坂峠、鬼坂峠、楠峠、一本木峠と峠をつなぎ、国道345号線最後は関川峠。

関川は戊辰戦争の激戦地だったそうです。

2車線の走りやすい道を南下。途中、信仰の山でもある「摩耶山」の登山口で、車を停めて休憩しました。

登山するには、ここから10分ほど車で進んだところが出発点で、2時間ほどで標高1,019mの山頂に到達できるそうです。

トンネルへ向かいました。標高が低いのでゆるいカーブを何度か過ぎると、トンネルに到着。

 

関川側

越沢側

関川峠を下りたところで、国道345号線を離れ、県道52号線を通り次の雷峠へ向かいました。

 

 

NO.74一本木峠 標高260m  山形県鶴岡市温海町鶴岡市木野俣 2023.10/25

楠峠を下り、国道346号線を通り一本木峠へ向かいました。

ゆるやかな上り道、標高が低い峠で、峠の頂も気づかずに通り過ぎてしまうような鞍部でした。

ゆるやかな上り道 車がほとんど走っていません。

峠に到着 木野俣側

温海町

 

 

NO.73楠峠 標高250m  山形県鶴岡市菅野代-鶴岡市温海町 2023.10/25

鬼坂峠から国道346号線を南下。菅野代から旧道の入り口を見つけ、そこを進みました。しだいに道が狭くなり、荒れてきて引き返すか迷いながら進みました。

万一、脱輪したりすれば大変なことになります。その為にワイヤーやハンドウインチなどを持っていますが、できれば使わずに済ませたい。

車を降り、先の道を歩いて確認しましたが路肩が弱く断念しました。無理すれば、脱輪どころか、崖下へ転落です。

Uターン出来るところまで慎重にバック。オフロードバイクか自転車なら行けたと思います。

なんとか国道に戻り、楠トンネルへ。

 

楠トンネル 温海町

菅野代側

この旧道の峠道も廃道化が進んでいました。

次の峠へ向かいました。

 

 

NO.72 鬼坂峠 標高329m  山形県鶴岡市板野-鶴岡市温海町菅野代 2023.10/25

鬼坂峠は、「鬼」と「地蔵」が力比べをした伝説があります。

昔、どこからともなく鬼が来て、この峠に住みつき悪さをしていました。あるとき、怪力無双の坊主が現れ、石投げや相撲の勝負で鬼を打ち負かし、退散させました。この坊主は、峠に祀られていた地蔵尊の化身で、現在は峠の入り口にある「滝泉寺」に村人総出で移されている、というお話しです。

 

まず、旧道へ行きましたが、熊が出そうな山道を登り、峠までもう少しのところで通行止めの柵があって引き返しました。

次に、たまたま歩いていた地元の方に、滝泉寺の場所を訪ね、行ってみました。

このお堂の中に、鬼と戦ったとされる地蔵尊が祀られているようです。残念ながら見ることは出来ませんでした。

鬼坂トンネルへ向かう途中、広い駐車場が有り、そこの隅で昼食。

いつものようにインスタントラーメンを煮て、食パンにソーセージ、缶詰のカレーなどをはんさんだ簡単なものですが、山で食べるとなぜこんなに美味いのか。

車なので、テーブル、イス、カセットコンロなどを楽に運ぶことが出来ました。

 

標高が低いので、鬼坂トンネルに間もなく到着。

菅野台側 写真の左側に旧道の峠があります。

坂野側

次の峠、楠峠に向かいました。

 

NO.71 大日坂峠 標高58m  山形県鶴岡市湯田川-鶴岡市田川 2023.10/25

小国街道は山形県の鶴岡から新潟県の村上までつながる道で、現在は国道345号線と国道7号線になっています。この街道には、多くの峠が有ります。

鶴岡側の大日坂(だいにちさか)峠から新潟県の葡萄峠まで合わせて8つの峠に行ってみました。

山形自動車道を通り、鶴岡へ。月山周辺の紅葉が最盛期。

鶴岡市から道路を左折し345号線に入り、大日坂峠へ。

交通量の少ないゆるやかな坂を進むと間もなく大日坂峠のトンネルに到着。

 

鶴岡市田川方面

鶴岡市湯方面

標高が低いのであっという間でした。

トンネルの近くに大日坂舘という平山城の館跡があり、土塁などが残っているそうです。

 

 

 

NO.70 小滝峠 標高550m  山形県南陽市上山市 2023.9/25

小滝峠は、国道348号線小滝街道にある峠。冬季は2mも積雪があるため、迂回しなければ通れない道でしたが、1992年、白鷹トンネル、境小滝トンネル、棚林トンネルが出来たため、通年通行できるようになりました。小滝峠は、境小滝トンネルと並行する旧道にある峠です。また、白鷹トンネルの旧道に「小滝越え」という峠がありますが、今回は下調べが十分でなく行かないでしまいました。次回に。

 

十分一峠から国道458号線、287号線を通り小滝峠へ。287号線は最上川と並行するように走っており、景色がよく信号機も少ない、走りやすいのどかな印象。どこまでも走りたくなるような道でした。

荒砥(あらと)で左折し、小滝街道(国道348号線)を東へ。

小滝街道は、道幅の広い片側1車線の道で、交通量が多い上、皆さんスピードが速い!

境小滝トンネル手前を左折。旧道に入りました。

 

舗装はされていますが、カーブが多く見通しが悪いのでゆっくり走り、カーブの手前では時々クラクションを鳴らしました。

たくさんのカーブを抜け、峠に到着。

小滝峠は切り通しになっていました。

南陽市

上山市

峠を少し下りたところにあった

案内板

後方に地蔵堂がありました。以前は、この峠を境に「山形藩」「南陽藩」と呼ばれた時代もあったとか。

上山市方面へ下ると、こちらも大きなカーブが続いていました。

再び国道348号線に合流しました。

 

少し進むと、狸森(むじなもり)という集落があります。

ここは、この地にあった「山元中学校」に、戦後間もなく無着成恭先生が新任教師として赴任。その後、生徒の書いた生活記録を「山びこ学校」としてまとめ、1951年(昭和26年)に発行。全国的に知られることとなり映画にもなりました。

舞台になった上山市立山元中学校は、生徒数の減少により2009年3月廃校。

無着成恭先生は、2023年7月21日、96歳で永眠されています。

 

 

NO.69 十部一峠 標高870m  山形県最上郡大蔵村寒河江市 2023.9/25

十分一(じゅうぶいち)峠の名は、昔峠に番所があり、「十部一役銀」を徴収していたことがその名の由来といわれています。

峠の南西方向すぐ近くに、三合山(標高1089m)があり、この山を慈恩寺奥の院として、峠周辺で修験道が行われていたそうです。

峠は国道458号線上にありますが、ここは日本で唯一の未舗装区間が残る国道で、全国に居る私のようなダート好きには、有名なところです。

10年ほど前に来たときは、林道と変わらない未舗装路が続いていました。

1年の半分以上は積雪のため通行止めが続くそうです。

 

朝、10時に出発。山形自動車道寒河江SAで休憩。名物の玉こんにゃくを食べましたが、辛子が劇辛で涙が出ました💦

辛子に要注意

西川インターチェンジで一般道へ。寒河江市宮内から国道258号線に入り、峠に向かいました。間もなく「峠の先通行止め」の掲示

峠までは行けるので、そのまま北上。峠の反対側にある肘折温泉まで行きたかったのですが、次の機会にします。

峠へ向かう車は少なく、道の真ん中で山鳩がなかなか逃げずにいました。

道のわきには、山神さまの碑がありました。歴史を感じさせます。

峠の寒河江市側は、所々に30~40mほどの短いダートが数カ所あるだけで、ほとんど舗装されていました。

日本唯一と言われたダート区間が無くなるのは残念な気もしますが、地元の方のことを思えば舗装されるのは当然でしょう。

ほとんど対向車と会うこと無く峠へ到着。

工事関係と思われる車が数台駐車していました。

 

寒河江市

大蔵村

西方向に月山が見えました。

峠からUターンし、途中の道路脇にスペースを見つけ、昼食にしました。

イスを出し、テーブルを広げ、調理用具を準備。食堂で食べるのも良いですが、山で食べるのも好きな時間。今回は、ホットサンドを使いました。作ったのは焼いたウィンナーを食パンにはさみ、更に焼くという簡単なもの。そしてワンパターンですがいつものインスタントラーメン。

このホットサンドはフライパンがわりになるし、パンの耳まで美味しく焼けます。

山ではなんでもご馳走です😸

この峠道では、熊出没の看板が3つもありましたが、今回は遭わずに済みました。

これまで峠越えをしていて熊を見たのはまだ1回だけです。

ゆっくり昼食を済ませ、次の峠へ向かいました。

 

NO.68 背あぶり峠 標高371m  山形県尾花沢市村山市 2023.9/19

山形県道29号線尾花沢関山線上の峠で、冬季は雪深く閉鎖されています。

江戸時代の古文書に「せなかあぶり峠」「せなかあふり峠」などと呼ばれていた記録があるそうです。千年以上も前からの古道は、現在の峠から南南東へ約500mほど離れた地点にあり、地蔵堂や石仏などが現存し古代から重要なルートであったと言われています。背あぶりの名の由来は、峠を通る者が朝は背中に朝日を浴び、帰りは背中に夕日を浴びたことから「背あぶり峠」と呼ばれたそうです。

 

大石田でそばを食べてから、この峠へ向かいました。

山形は、そば作りに気候が合っているそうで、そば畑をよく見かけました。

10月末頃から新そばが食べられるそうです。

 

村山市側から峠へ向かいました。県道29号線を北上。交通量が少なく、走りやすい片側1車線の道が続きました。

峠道にかかると、あたりは杉林になり、途中から道幅が狭くなりました。

舗装はされていますが、急カーブが連続。側溝にふたが無いところもあり、崖側は急なのでより慎重に進みました。

対向車に一度もあうことなく峠に到着。

峠は切り通しになっており、道は直角に曲がり、尾花沢方面に下っていました。

 

尾花沢方面 右側へ直角に曲がります。

村山市方面

峠から望む村山盆地 眺めがよかったです。

 

峠を下りきったところで。 道路情報看板の上部に背あぶり峠の名があります。

下りも、九十九折りの道が続きました。

 

 

NO.67 大峠 標高412m  青森県青森市幸畑-八甲田 2023.7/24

小峠を出発。大峠へはすぐでした。

県道40号線を示す標識に「大峠」の名前がありました。 

八甲田方面

幸田方面

大峠を過ぎても上り道が続きました。八甲田山へ向け、勾配がきつくなった感じがしました。

八甲田山

後藤伍長の像には、亡くなられた兵隊さんの名前が刻まれていました。

遭難資料館とその周辺、八甲田山中にある遭難の地や後藤伍長の銅像など、本当によく整備され、遭難された大勢の方々に対する慰霊の思いがすごく伝わってきました。

両手を合わせ、ご冥福を祈り、この地を離れました。

 

八甲田山の広大な樹海の中を走り、城ヶ倉大橋に出ました。

この橋は、アーチ柱間が255mで国内最長。谷底からの高さは122mもあるそうです。

 

前回は、雨の峠越えでしたが、今回は天候に恵まれました。

峠越えをするときは、その峠にまつわる歴史などを調べますが、今回の峠は想像以上に心に残りました。機会があれば、また訪ねてみたいと思います。

 

NO.66 小峠 標高375m  青森県青森市幸畑-八甲田 2023.7/24

木野部峠から折り返し、八甲田山入り口にあたる「小峠」に向かいました。途中、車内で突然「ピーッ、ピーッ」と警報音が鳴り、車を停め点検。原因は、ETCカードが少しゆるだことが原因でした。また、道をまちがえ青森市まで遠回りをしてしまいました。

 

午後4時、青森市にある「雪中行軍遭難記念館」に到着。

1902年(明治35年)1月23日、来たるべきロシア戦に備え、耐寒訓練の一環として行われた日本陸軍の雪中行軍でした。

行程は、青森を出発し小峠、大峠を越え田代温泉までの1泊2日。

しかし希にみる悪天候や指揮系統の乱れ等により遭難。210名が参加し199名が遭難死されたという最悪の結果となりました。

 

資料館に入るとこの「後藤伍長」の像があります。

捜索隊が山に入り、八甲田山の「大滝平」で雪の中で立ったまま仮死状態にあった「後藤伍長」が発見されました。実際の発見現場にも、同じ像が建っています。

他にも資料館には、当時の遭難にに至った経緯や遭難の様子、生存者の話、当時と現在の自衛隊の装備の比較など様々なものが展示されていました。

資料館のとなりに、遭難した将兵の墓がありました。今でも慰霊に訪れる方が絶えません。

 

午後5時、小峠へ向かいました。道の奥には、八甲田山が悠々とした姿を見せていました。

ゆるやかな登りとカーブが続きました。

 

当時、210名の軍隊の最後尾を食料などを積んだ15台の橇(そり)隊が進む。小峠で小休止。大きく遅れた橇隊が小峠に着いたのが正午少し前。この時すでに零下11度。兵士が携帯した握り飯は凍っていたといいます。このあたりから、天候が急激に悪化。

ここで軍医が引き返すことを提案。会議を開くが、意見が分かれ、大隊本部の強い意見に押され、行軍を続けることに。     ここが運命の別れ道だったんでしょうね。

 

小峠へ到着。駐車スペースが有りそこへ車を停めました。

青森市幸田方面

八甲田方面

次の大峠へ向かいました。

 

NO.65 木野部(きのっぺ)峠 標高93m  青森県むつ市木野部-釣屋浜 2023.7/24

木野部峠は国道279号線にある、地図上では本州最北の峠です。木野部は「きのっぺ」と読み、アイヌ由来の名前と思われます。国道279号線は、青森の野辺地町から函館市まで続き、海上区間も含まれた国道で、「はまなすライン」とも呼ばれています。おおむね平坦な道ですが、木野部峠は標高が低いながらも坂が急でカーブの続く道です。

 

尻屋崎から、木野部峠を目指しました。県道6号線、県道286号線と直線が多い走りやすい道を坦々と走りました。八幡宮で国道279号線と合流、右折し北上。午後1時を過ぎたので、昼食が摂れる場所を探しながら走りました。

木野部峠の登りにかかり、カーブが続く中、道路左側に良い場所を発見。D5を通行のじゃまにならないところに停め、昼食の準備。

気温は30度を超えていましたが、山間部の木影は涼しいです。

ラーメンに卵を入れただけの簡単な昼食ですが、十分です。

コーヒーを飲み、片付けを済ませて出発。

 

木野部峠には、間もなく着くことが出来ました。

木野部側(大間崎方面)

釣屋浜側

ここから本州最北端の大間崎まであと少しでしたが、次の機会にすることにしました。

Uターンし、次の峠、八甲田山にある小峠と大峠へ向かいました。

 

 

 

NO.64 横流(よこながれ)峠 標高70m  青森県むつ市田名部-東通村 2023.7/24

国道338号線上にある、標高70mと低い峠。

むつ市側から向かいました。むつ市市内を走っていて、突然カモシカが飛び出してきて、急ブレーキ。なんとかかわしました。市内で野生動物に出会うとは。

峠は、ゆるやかなアップダウンを繰り返し、ナビが無ければ気づかずに通り過ぎてしまうような頂でした。

横流峠 むつ市側 

東通村

横流峠を太平洋側へ下り、尻屋崎へ向かいましたが、道路脇に「埋没林」の看板を発見。行ってみることにしました。ここは、下北砂丘(猿ヶ森砂丘)と呼ばれる日本一の大砂丘があるところです。県道248号線を離れ、間もなく埋没林の入り口にある駐車場に車を停めました。

 

どの辺が埋没林なのかよく分からず、、、。
県道にもどり、尻屋崎に向かいました。

尻屋崎は、昔、高校生の頃に仲間3人とオートバイで東北を周り、テントで泊まった思いでの場所です。あれからもう半世紀が過ぎました。

あの当時は、全く観光化されてなく、灯台があり、馬が放牧されている最果ての地といった感じでした。そこでテントを張り、固形燃料と飯ごうでご飯をたき、風で舞った砂入りのご飯を食べ、狭いテントに3人で寝ました。

現在は、途中に風力発電の巨大なプロペラがいくつもあり、灯台周辺は駐車場と小さな食堂兼お土産屋さんができ、きれいに整備されていました。岬の数㌔手前にゲートがあり、夜間は入れないようにしてありました。

岬周辺の海の美しさ、自然の美しさは少しも変わってなかったです。

 

尻屋崎 灯台に続く道

奥に北海道がうっすら見えます。

道路脇に花が咲き誇っています。

 

この灯台は、120年以上の歴史があり、レンガ作りの灯台としては日本一の高さがあるそうです。近くでは、今でも馬が放牧されていました。

尻屋崎で放牧されている馬は、寒立馬(かんだちめ)と呼ばれ、寒気と粗食に耐え、持久力に富む農耕馬として重用されましたが、時代は変わり、現在は30頭ほどまで減っているそうです。

 

尻屋崎で休憩後、大間岬手前にある木野部峠に向かいました。

 

NO.63 冷水(ひやみず)峠 標高248m  青森県むつ市中野沢-東通村 2023.7/24

猛暑の時間を避け、少し涼しくなった午後7時に出発。菅生スマートICから東北道に入り北上。安代JCTを右折。折爪SAに午後11時頃着。ここまで約300km。

車中泊は久しぶり。朝、5時出発。

朝6時、三沢多目的広場で朝食。淋代海岸沿いの良く整備された公園でした。

食パンにソーセージ、缶詰のカレーなどをはさみ、コーヒーを飲む。

(こんな風に外で食べたらうまいだろうな。)と思っていたことを実現できました。

最近買ったカセットコンロが、外でも風に強く、役立ちました。

下北半島太平洋側を北上。東通村で左折し、県道7号線を通り峠へ向かいました。

冷水峠は、下北半島を横断する道路上にある峠です。舗装路2車線で標高は248mと低いですが、勾配がやや急で自転車や歩行ならかなりきつそうな道です。熊も出そうな雰囲気でした。

朝8時過ぎ すでに気温26度  カーブが続きます。

 

冷水峠に到着 東通村

むつ市

冷水峠を下り、むつはまなすライン(国道279号線)に出て右折、次の峠に向かいました。

 

NO.62 段田原(だんだら)峠 標高365m  宮城県丸森町筆甫-福島県梁川町 2023.7/21

阿武隈急行あぶくま駅」から、約5kmほど離れたところに峠があります。

丸森の伝記には、峠の近くに「天狗の宮」があり、剣術の達人「高城飛剣」が修行をしたところで、天狗から剣術を習った場所とされています。

 

松坂峠の下りは、土砂降りになりました。晴れていれば、福島県側の展望が開け見晴らしの良いところです。

道幅が狭くなり、見通しが悪くなりました。ダンプカーと3回も出合い、道幅の広いところにゆっくり移動し、すれ違いました。

県道101号線に入ると、道幅が広くなりました。

途中、羽出庭に向かい左折。この先に段田原峠があります。

ゆるやかなカーブが続き、ほどなく段田原峠に到着。頂の坂もゆるく、峠とは思えないほどでした。

宮城県丸森町

福島県梁川町

雨はだいぶ小降りになりました。阿武隈川沿いの県道349号線を通り、帰路につきました。

 

NO.61 松坂峠 標高527m  宮城県丸森町曲木-丸森町羽出庭 2023.7/21

宮城県福島県の県境、阿武隈山地の峠。県道102号線・平松梁川線上にあります。

古く、室町時代の末には開通。昔は、生糸や織物、木炭、海産物などが運ばれたそうです。旧道の峠へ続く道も現存するが、廃道化が進んでいるようです。

 

まだ梅雨が明けず、雨天の中を峠へ向かいました。

丸森町から南下、県道45号線を走り、不動尊公園で左折。この先にある「枯木峠」へ向かいました。しかし、地図に名前があっても峠への入り口が見つけられず、断念。

途中、鶴供養の碑がありました。鶴を捕獲した村人が祟りを恐れ、建てた物のようです。

県道に出て、松坂峠へ向かいました。

道幅は1.5車線。見通しが悪いカーブが続き、対向車に気を付けながら進みました。

松坂峠に到着

福島県

宮城県

松坂峠の道標。このわきに、旧道らしき小道がありました。

写真では分かりませんが、このときすごい雨で、旧道らしき道を少し入りすぐ引き返しました。天候の良いとき、また来ようと思います。

 

NO.60 刈田峠 標高1545m  宮城県蔵王町山形県上山市 2023.6/19

宮城・山形の県境の峠。峠を境に北蔵王南蔵王に分けています。峠の駐車場からリフトで北蔵王の刈田岳に登れ、そこから蔵王のお釜がすぐです。足を延ばせば、最高峰の熊野岳に行くことが出来ます。熊野岳と刈田岳の間は、「馬ノ背」と呼ばれ、火山岩や火山礫で覆われ、荒涼としています。南側は、前烏帽子岳、後ろ烏帽子岳屏風岳、不忘山へと道が続きます。

蔵王エコーラインは、昭和39年に有料道路として開通しましたが、現在は無料化されています。11月初旬から4月下旬まで、冬季閉鎖冬季閉鎖が解除された後しばらくは、道路両側の雪の壁が見事です。

 

梅雨の合間の晴れた日を待ち、6月19日、ようやく出発。

自炊用具やイスなどを持つと結構な荷物でしたが、パニアケースを付けることで楽に積むことが出来ました。 午前11頃出発。

 

大きな鳥居をくぐり、木漏れ日の中を走りました。

途中、三階滝と不動滝を見学。

不動滝に大きなカニとウナギが戦ったという伝説があるそうです。

峠が近づくと、木々の姿が次第に減り、岩石が広がる荒涼とした風景になってきました。出発時は、かなりの暑さでしたが、だいぶ気温が下がりました。

 

南蔵王縦走の登山道入り口 このあたりが刈田峠と思われましたが、峠を示す表札を見つけることが出来ませんでした。

刈田峠 宮城県

山形県

 

刈田駐車場からの眺め 

遠くに朝日連峰飯豊山地出羽三山などの山々を見ることができます。

 

万一の蔵王山噴火に備え、トイレが避難場所になっています。

ようやく刈田峠の名前を見つけました。トイレでしたが😸

蔵王山南側

少し戻り、スキー場近くの広い駐車場でいつもの簡単な昼食

今回は卵を持参。乾燥ネギも入れてみました。

 

 

奥に見えるのは、スキー場脇のホテル

私の子供がまだ小学生の頃、合唱団の合宿で利用した事がありました。

使われなくなって何年経過したのか、、、。

帰りは蔵王町の黄金川温泉に寄りました。

一般利用料金が350円とビックリするくらい安いです。

ゆっくり湯船に浸かり、疲れを取ることが出来ました。

 

 

NO.59 笹ノ田峠(ささのだ)峠 標高474m  陸前高田市-一関市 2023.3/28

陸前高田市矢作町と一関市大原の間にある国道343号線にある峠。古くは今泉街道の内陸と沿岸を結ぶ交易上重要な路でした。

峠近くには珍しいループ状の橋があるそうです。

 

今日一日で10個の峠へ行くことが出来ました。このまま西へ向かい、東北道で帰るか。または、笹ノ田峠を越え、三陸自動車道へ出て今日来た道を戻るか。国道343号線の分岐点に出るまで少し迷いましたが、峠道の方がおもしろそうなのでそちらに向かいました。

心配なのは、朝からすでに400km以上走り、燃料が残り少なくなったことです。陸前高田市の方へ行けばスタンドはいくらでも開いているだろうと思い、東に向かいました。

国道343号線、笹ノ田峠へ向かう道路は、ヘッドライト消すと真っ暗になりそうな寂しい道でした。

峠へはここを左折。

峠を示す標識は見つけられませんでしたが、ナビゲーターからここが笹ノ田峠。

陸前高田市方面

一関市方面 真っ暗で何もわかりません^^;

ナビゲーター画面

その後、(ここがループ橋か。)と思いながら大きなカーブを回りました。

しかし、時刻は8時をまわりガソリンスタンドはどこも開いておらずさすがに焦りました。

その後、アイホンで「近くのガソリンスタンド」と検索するとすぐ回答が。

焦って検索しているときの画面です。なんと182km先のスタンドを案内してたのでやり直し、気仙沼市内で開いているところを見つけました。

午後9時頃過ぎ無事給油。これでなんとか帰ることが出来ます。

午後11時過ぎ、岩沼のラーメン店で遅い夕食。

一日の走行距離575km。

次にまた峠越えに行くことができるなら、あまり欲張らずゆっくり回りたいと思います。

 

 

NO.58 越路峠(こしじ)峠 標高538m   奥州市-一関市 2023.3/28

397号線から県道10号線に入り、峠へ向かいました。途中、越路スキー場の看板がありました。コロナ感染の影響で近年は休業中とのことです。

県道に出てから数分で峠に到着。

こんな標識も夜だとかなり不気味です、、。

奥州市

一関側

NO.57 姥石峠(うばいし)峠 標高626m  奥州市-住田町 2023.3/28

奥州市と住田町を結ぶ国道397号線は「盛街道」と呼ばれ、太平洋と岩手県内陸を結ぶ重要な路だったそうです。そこにある峠のひとつが姥石峠。現在、峠の下には種山トンネルが通っています。近くには、道の駅がありました。

この峠も、義経伝説が残り「平泉を脱出した義経主従が、その途中、伊手の源休館を経てこの姥石峠を越えた。人首部落から五輪峠、大森山、さらには物見山などの峰伝いみ進んだ。」と伝えられています。

 

国道340号線からナビゲーターをたよりに次の姥石峠へ向かいました。あたりは暗くなりましたが、峠道をつないで帰ることにしました。

国道340号線から397号線へ。何度かトンネルを越えながら峠方面へ。

 

峠の手前で道の駅「種山原」に寄りました。店はすでに閉まっていましたが、車中泊でもするのか、車が1台停まっていました。

 

姥石峠では、もうすっかり暗くなり、峠を示す看板など見当たりませんでした。

夜の峠道は、何か出てきそうで不気味です。

奥州市の方へしばらく下ると、「人首」という地名の表札がありました。

調べると、この地は坂上田村麻呂蝦夷軍の攻防地で、「人首丸」という人物の墓があることが地名の由来だそうです。夜道では見たくない名前でした。

 

 

 

NO.56 赤羽根峠(あかばね)峠 標高536m  遠野市-住田町 2023.3/28

国道283号線を北上後、340号線に出て左折。右折すれば遠野市がすぐでした。

夕暮れの道を赤羽根峠へ向かって南下。

 

赤羽根峠は、義経伝説の残るところです。

源義経は、兄の頼朝と対立し、奥州藤原氏を頼り平泉に落ち延びたが、頼朝の追求から逃れることが出来ず自刃したとされています。しかし、義経は北方へ生き延びたという「義経北方伝説」があるそうです。赤羽根峠もそのひとつで、赤羽根峠の難所を義経一行が越えたが、あまりに過酷な道だったため義経の馬が力尽き亡くなった、という話しが残っています。

赤羽根峠への看板を見つけ、国道340号線から右折し峠へ向かいました。

 

赤羽根峠 峠には義経伝説を示す看板がありました。

 

 

NO.55 新平田峠(しんひらた)標高437m  遠野市上郷町番屋-あしがせ2023.3/28

仙岩峠を下り、遠野方面に向けて国道283号線を進みました。本日7つ目の峠、新平田峠へ向かいます。

片側1車線の道でした。峠へはゆるやかな登りとカーブが続きました。

坂道に入り、約3kmほどで峠へ。

峠を示す看板は無く、そのまま通り過ぎてしまうくらいの所でした。

 

上郷町番屋側

あしがせがわ

 

 

NO.54  仙人峠(せんにん) 標高887m  岩手県釜石市遠野市 2023.3/28

山深い峠で、新緑や紅葉が美しい場所です。名前の由来は、昔ここに仙人が住んでいたとか。

この峠は、大変な難所として恐れられていたそうです。人馬を苦しめ、一日がかりの峠越えでした。

伝説が豊富で、山中で長い髪を垂らした女が出るとか、猿が石を投げつけるなどの話しが遠野物語にあるとか。峠は、北上川の支流早瀬川と甲子川の分水嶺になっています。

 

釜石側から283号線を通り、峠へ向かいました。途中、「釜石仙人峠」という名の道の駅で休憩。ここで買ったお菓子(かりんとう?)大変おいしく、もっと買っておけばよかったと後悔するほどでした。小さな道の駅でしたが、ソフトクリームや色々なお菓子が充実していました。近くを甲子川が流れていました。

峠道は登りに入ると、行き交う車も減り、山深さを感じさせる山岳路になっていきました。

本当に山深い所でした。仙人が住んでいてもおかしくないような所でした。

現在の道路は、平成19年3月18日に開通。全長18.6km。そのうちトンネル4本と9つの橋で全体の半分以上を占めるそうです。

ほとんど車とすれ違わずに峠へ到着。

遠野市

釜石市

だいぶ日が落ちてきました。

この先、峠がまだ多いです。

少しでも明るいうちに峠を越えたいので、すぐ次の峠へ向かいました。

 

 

 

 

 

NO.53 鍬台(くわだい) 標高438m  岩手県釜石市-大船渡市 2023.3/28

三陸海岸に沿って走る浜街道の峠。1970年(昭和45年)に峠の真下を通るトンネルが開通。現在、峠を訪れる人は少ない。トンネルは全長2305mもあり、国道45号線上で最長となっている。

 

美しい吉浜湾を右手に見ながら峠へ向かいました。

峠へ向かう道 ゆるやかなカーブが続きます。

間もなく、トンネルへ到着

 

釜石市

大船渡市側

 

NよO.52 羅生(らせい) 標高243m  岩手県釜石市-大船渡市 2023.3/28

三陸隧道から国道4号線を北上、羅生峠を目指しました。右側に青い海が広がり素晴らしい景色を横目に見ながら北上。天気にも恵まれました。

ほどなく、羅生トンネルに到着。

釜石側

大船渡側





 

NO.51 三陸峠(隧道) 全長476m  岩手県釜石市-大船渡市 2023.3/28

国道45号線を北上し、大峠を目指して走りましたが「三陸隧道」というトンネルに出ました。開通は昭和36年。今らか62年ほど昔です。地図からはこの近くに「大峠」の名前がありました。三陸自動車道は、たくさんの車が走っていましたが、こちらの道路は車の往来が大変少ない道でした。

大峠三陸隧道)方面への道 ゆるやかなカーブが続きます。

下の道路が三陸自動車道が走る新三陸トンネル、上が三陸トンネル(三陸隧道)

本来なら大峠の名前を取り「大峠トンネル」とすべきだったのでは。

 

 

三陸隧道 釜石方面

三陸隧道 大船渡方面 トンエルの入り口には「三陸トンネル」の標識が有り、トンネルには「三陸隧道」と書かれていました。 

 

NO.50 通岡峠 標高 173m  岩手県陸前高田米崎町-大船渡末崎町 2023.3/28

通岡(かよおか)峠は、国道45号線の旧道峠。江戸時代、三陸地方の海沿いの交通は、起伏があり南は峠越え、北は坂越、谷越えの難所続きで、様々な難所に強い牛が使われ牛方が往来する道でもあったそうです。通岡峠も急峻な道だったことから整備され、1963年から10年間ほど有料道路として交通量の大変多い道でした。現在峠は長さ1,230mのトンネルが通っています。

 

 

近くを三陸道が走っているため、そちらを通る車が多く、通岡峠へ向かう国道45号線は空いていました。

通岡峠 高田市側

大船渡市側

午後1時を過ぎたので、昼食をとる為の場所を探しました。

ふるさと林道 氷上山線」の看板を見つけ、休憩所もありそうなので入ってみました。林道から見える広田湾の眺めも良かったです。

道路脇に広場を見つけここで昼食。

いつものようにレトルトご飯とラーメンの昼食。

山では、簡単にできるものがいいです。

林道から見た広田湾



NO.49 飯森峠 標高 188m  宮城県気仙沼市岩手県陸前高田市飯森 2023.3/28

飯森峠は、岩手県との県境にある峠。地図から宮城県最北の峠であることが分かります。峠の名は、岩手県側にある「飯盛」という地名からつけられたものと思われます。

かつては岩手と宮城を結ぶ主要な道。峠の頂には、お地蔵さんが祀られています。

江戸時代の頃、この地で病人が行き倒れ亡くなったため、建立されたものだそうです。

 

朝8時に出発。始めに地元でガソリンを満タンに。今日はかなりの距離を走る予定。岩沼市から高速道路を利用。矢本PAで休憩を兼ねて観光案内所に寄りました。

 

気仙沼市から県道34号を北上し、峠に向かいました。以前、夜這路峠を越えたときに訪れた東中才を通過。

鹿折川と並行するように北上。地図上に鹿折金山跡がありましたがどこにあるか分からずそのまま通過。峠が近づくと勾配が増し、カーブもきつくなりました。

 

金山跡地から約3kmで峠に到着。

峠には、お地蔵さんの祠がありました。

岩手県

宮城県

峠は、鹿折川と飯盛川の分水嶺になっているそうです。峠近くで道幅が広くなり、岩手県側は走りやすい道でした。峠を下り、国道343号線とのT字路に到達。左は本日最後に行く予定の笹ノ田峠へ向かう路。右へハンドルを切り、次の通岡峠へ向かいました。ここから左回りで大船渡、釜石、遠野方面の峠を越えます。


 

 

NO.48  石母田峠  標高 505m  宮城県白石市福島県国見町 2022.9/14

前回の山崎峠の東側にある峠。「いしもだ」と読みます。福島県側には阿津賀志山の展望台が有り、そこには天保の飢饉で犠牲になった多くの人の供養のための石碑があり、宮城県側にも飢饉の碑が残されているそうです。山崎峠と同様に、福島県側にくらべて宮城県側がかなり荒れており、廃道化が進んでいます。

今回は、福島県国見町側から峠を目指しました。

 

快晴で日中は30度の予報でした。できるだけ余分な荷物を持たず、ただ峠でコーヒーぐらいは飲もうと、小さなやかんとアルコールストーブを持ち出発。

国道四号線を通り、貝田から右折。途中、「貝田宿」の看板がありました。

石母田峠へ向けてさらに右折。しばらく舗装路が続きました。時折、樹間からの眺めがとても良かったです。阿津賀志山展望台への入り口がありましたがそこへは行かず、石母田峠へ。

道は未舗装となり、高度を上げるにつれて道が荒れてきました。

250ccのオフロードバイクで走るのに丁度良い感じの道でした。

石母田峠到着 福島県国見町

宮城県白石側

福島県側が林道水晶森線 宮城県側は林道七里沢線

ここでコーヒーをと思いましたが、予定時間を過ぎていたので先に進むことに。

この後、とんでもない悪路になるとは、、、。

宮城県側に下ってすぐに道が草におおわれ、草をかき分けて進むような道になりました。

福島県側が車でも走れる道だったのに、宮城側は荒れ放題な様子。

前回の山崎峠も同様でした。

ここでバイクを降り、下見をすることにしました。

無理をして下り、通行不可能になれば最悪です。電波も届かず、携帯がつながりません。

道の両側がくずれ、車では絶対に無理な場所。バイクでも万一落ちれば一人で上げるのは無理。

30分近く歩き、宮城県側に向けて通行止めの看板があるところまで来ました。

この先は、道が広くなっていることを確認し、バイクを停めた場所まで戻りました。

七里沢わらびの碑

宮城県側の下り道では、三頭のカモシカに出会いました。好奇心が強いのか、じっとこちらを見ていました。

山崎峠への道。これでも「県道赤井畑国見線」。地図上では道がありますが、完全に廃道になっています。

更に進むと、道路が浅い川になっていました。水がきれいで清流のようでした。

林道の最終地点にこの碑がありました。

天明の飢饉の悲惨さと山の恵みで村人の多くの命が助かったことが記されていました。

宮城県側の山崎峠と石母田峠の入り口。

かつては鉱山で繁栄し、多くの人が働き、学校や映画館まで建てられたといいます。

県道として利用された道も、今では宮城県側に通行止めの策が建てられ、廃道化がどんどん進むようです。







 

 








 

 

NO.47  山崎峠  標高 406m   宮城県白石市福島県国見町 2022.9/5

県道107号線上にある、宮城と福島の県境にある峠。峠から宮城県側方面には、1910年頃に発見された鉱山が有り、戦後には県道「赤井畑国見線」として発達。鉱山の敷地には学校や映画館ができるほど開発が進んだが、1960年頃から海外の安価な資源に移り始め、沿線は次第に衰退。1992年には通行止め区間が設定され、特に山崎峠から宮城県側は廃道化が進み、徒歩でも通行が困難な状況らしいです。

また、この周辺は「阿津賀志山(あつかしやま)の戦い」の古戦場として、峠の近くには砦跡もあるそうです。

 

今回はかなりの悪路が予想されるので、オフロードバイクで行くことにしました。

朝10時に出発。

白石から国道113号線を通り、材木岩の近くから県道46号線を経て、小坂峠方面へ

 

県道46号線

萬藏稲荷 お参りに来た方で賑わっていました。

県道から山崎峠への分岐点 ここからオフロードが始まりました。

「あつかしやまの戦い」は、源頼朝率いる鎌倉軍と、源義経をかくまった奥州藤原氏との戦いでした。この戦いに敗れた藤原氏は、後に滅亡してしまいます。

道は、かなり荒れ、ところどころに倒木がありました。

なんとか通過。

峠の近くで昼食。

レトルトご飯をホットサンドで温め、別のなべでラーメンを煮て食べました。

ホットサンドのご飯は、ちょっと焦げましたが美味かったです。焼き鳥缶を温め、焼き鳥丼にしました。ラーメンはお湯を入れるだけのチキンラーメンですが、これも最高でした。

 

山崎峠に到着

峠は、広場になっていました。

宮城県側は通行止めの看板が立てられ、どこが道か分からないほど草木に覆われていました。

福島県側は、道がしっかりありましたが、こちらにも通行止めの看板がありました。

 

福島県側の眺め

今年の冬に一度来た「小坂峠」に寄りました。

国見町側にある大鳥居

この後、国道4号線を通り帰宅。

なんとか雨に降られずに済みました。

 

 

NO.46  楢木峠  標高 106m   新潟県三条市加茂市  2022.8/17

楢木(ならのき)峠は、国道290号線にある比較的低い峠です。

峠へ向かう途中、道路脇に五輪塔がありました。

近くにあった看板に、その由来について詳しく書かれてありました。

峠へは、ゆるやかなカーブが続きましたが、勾配もゆるく自転車でも降りずに登れそうな道でした。

峠のピークでは標識等何も見つけることが出来ず、危うく通り過ぎるところでした。

 

楢木峠 三条市

楢木峠 加茂市

今日一日で、10箇所の峠へ行くことが出来ました。

朝、6時頃家を出て、帰宅は午後10時30分。走行距離約558kmでした。

 

帰宅すると、注文していた新しいバッテリーが届いていました。

天気をみて、早めに交換しようと思います。

 

 

NO.45  五輪峠  標高 110m   新潟県三条市牛ケ首-五十嵐  2022.8/17

鹿峠から次の峠に向かっていて、偶然「五輪峠」の標識を見つけました。近くには由来が書かれた看板もありました。

それによると「五輪峠は昔ながらの山道で、人馬の往来が困難を極めており、この改修が村民の多年の願望であった。その願いを受け、昭和28年全長130mの隧道が完成・・・。」とありました。現在は、隧道脇を二車線歩道付きの道路が通っているとのこと。

隧道を写真に収め、峠を越えました。

 

道路左側にあった五輪峠を示す標識

道路右側に、五輪峠の由来が書かれた看板と隧道がありました。

右奥に隧道

五輪峠 牛ケ首側

五輪峠 五十嵐側

隧道 反対側の入り口

峠の道路わきに、なだれ注意の看板がありました。
低い峠に隧道を作ったのは、積雪の多い地域なので冬でも反対側へ行けるようにしたためかと思います。

 

 

 

 

 

 

NO.44  鹿峠  標高  28.4m   新潟県三条市        2022.8/17

鹿峠は、「かとうげ」と読むそうです。

かつて、鹿峠村がこの地域にありましたが、1955年に近隣の村と合併し、現在は鹿峠という地名だけ残っているようでした。

峠越えをするつもりで行き、平地に鹿峠の標識を見つけ、ビックリとがっかりな思いを同時に味わいました。

ただこの鹿峠の近くに、地図にも載ってないような歴史ある「五輪峠」を偶然見つけることができました。

 

 

NO.43 人面峠  標高150m   新潟県長岡市人面ー三条市大平 2022.8/17

昔、人面犬や人面魚が話題になりました。この峠も「じんめんとうげ」と読むものと思っていましたが、正しくは「ひとづら峠」。人面という地名が峠のふもとにあり、そこから付けられたものと思います。昔、集落が四人の農民によって開かれたので「四人村(しとむら)」と言っていたが、「四人面(しとつら)」から「人面(ひとづら)」となったという説があります。現在は、1983年に竣工したトンネルが開通しているので、峠は旧道として残っています。トンネルとその周辺は、心霊現象で有名らしいです。

 

石峠から国道290号線を通り、長岡市に向けて北上。雨で路面は濡れていましたが、ゆるやかなカーブが続く走りやすい道でした。

長岡市人面からは峠道となり勾配とカーブがきつくなりました。低い位置にあるので、間もなく人面峠トンネルに到達。

 

長岡市人面」方面への道 ゆるやかなアップダウンとカーブが続きます。

人面峠トンネル 三条市大平方面 石峠と違い暗い雰囲気です。

人面峠トンネル 長岡市人面方面

 

大平方面へ、下ってすぐに旧道入り口を見つけUターン

峠へはそれほど距離がないようなので、歩いて行ってみることにしました。

舗装路が残っており、行けると思いましたが、200mほど行くと草に覆われ道が途絶えていました。長靴をはき、ナタなどがあれば進めると思いますが。

ここから引き返し、次の鹿峠へ向かうことにしました。

 

 

NO.42 石峠  標高1,054m   新潟県入広瀬栃尾市 2022.8/17

会津と長岡を結ぶ重要な路線。名前の通り、峠には大きな石があるそうです。

天正6年(1578年)、上杉景と景勝の御館の乱でこの峠でも戦があり、近世では明治元年戊辰戦争の時も峠が戦場となるなど、古戦場となった峠だそうです。

 

 

五輪峠を下り、国道290号線を栃尾方面に向けて北上。

峠道にかかると間もなく、道路脇にこの看板がありました。

所々にスノーシェッドのある峠道を上り、トンネルに到達。かわいらしい雪だるまの絵がありました。

 

石峠トンネル 栃尾方面

 

石峠トンネル 入広瀬方面 

このあたりは冬の積雪量がかなり多そうです。

さらに北上し、今日7つ目の人面峠へ向かいました。

 

 

NO.41 五輪峠  標高430m   新潟県魚沼市高倉ー入広瀬 2022.8/17

五輪峠という名の峠は、日本に複数あります。この日は2つの五輪峠へ行きました。

ひとつめは新潟県魚沼市にある峠。新潟県道552号高倉東野名線が経由しています。

入り口に近いところにあった「道の駅いりひのせ」で、休憩を取り、店員さんから峠の様子を聞きました。舗装はされているが道幅が狭く、交通量は少ない、地元の方もあまり行かない所らしいです。

 道の駅にあった「苔玉

五輪峠へ向かう峠道

 

五輪峠 高倉側

入広瀬

 

対向車が飛び出してこないか、バッテリーは大丈夫か・・。不安な思いをかかえながらの峠道でした。

 

 

 

NO.40 六十里越 標高761m   新潟県魚沼市福島県只見町 2022.8/17

新潟県福島県の県境にある国道252号線の峠。豪雪地帯で「六十里越え雪割り街道」とも呼ばれており、冬季は12月から5月まで約半年にわたり通行止めになるそうです。

六十里越えの名前は、六里(約24km)なのに一里が十里に感じられるほど険しく長く感じられるから、という説があります。

 

美女峠の後、国道400号線を北上し、国道252号線に出て左折。沼田街道を通り六十里越に向かいました。

途中、田子倉ダムを見学

スノーシェッド(道路を雪害から守る雪よけの屋根)が多い道路を進みました。途中猿に遭遇。

雨の中、ようやく六十里越えトンネル(峠)に到着。

うっかりトンネル手前で写真を取らずに通過。暗いトンネルでした。

 

六十里越 福島只見町側

新潟県魚沼市

奥はJR只見線のトンネルです。

六十里越と併走するように走る只見線は、新潟県魚沼市から福島県会津若松市まで続く約135kmの路線で、絶景を撮影しようと全国からカメラマンが集まるそうです。

2011年、新潟福島豪雨で不通の箇所があり、バスによる代行運行で補っていましたが、2022年10月に全線開通予定だそうです。

車の電圧が不安定でヒヤヒヤしながら次の峠、「五輪峠」に向かいました。

 

 

 

NO.39 美女峠 標高782m   福島県会昭和村ー三島町 2022.8/17

ここは、美女・高姫伝説があり、峠には高姫の父親の石塔(墓)が残されています。

道は約8kmほどで、車は途中までは行けると地元の方に聞きました。峠の近くからは縄文時代の土器が見つかっていることから、古くから集落と集落を行き来するために重要な峠であったそうです。高姫伝説は・・。

平家に仕えていた「見指左衛門尉知親」が娘の「高姫」と共に峠近くに住んでいた。高姫は年頃になると一層美しい娘に育つ。やがて、同じ平家方の中野丹下と馴染みとなり、丹下が峠を越えて会いに来るようになった。

丹下と高姫は夫婦となり、なかむつまじく暮らしていたが、しだいに平家の残党狩りが厳しくなり、身のおきどころに苦しみ続けたふたりは、この世を思い切り自害し哀れな最期をとげた・・。というお話しです。

 

喰丸小学校から、美女峠の入り口まで数キロでした。入り口近くにはこんな石がありました。

地元の方から、美女峠の入り口を聞き、車で行けるところまで行くことにしました。

熊出没注意が目印。

この後は、道が更に狭くなりUターンもできなくなるため、引き返すことにしました。

奥に見える山の鞍部が美女峠かも知れません。

もう一つの美女峠入り口です。

時間的に余裕があれば、自分の足で越えてみたい峠でした。

 

NO.38 喰丸峠 標高501m   福島県会津美里町ー昭和村 2022.8/17

旧道は、ブナの原生林や大ケヤキがあり、村と村を結ぶ重要な道でしたが、現在は民有地として一般者は入山禁止となっていました。喰丸峠のある昭和村は、野尻、大芦の二つの村が合併し、昭和2年に誕生したので「昭和村」と名付けられたそうです。

 

喰丸峠 旧道の入り口と入山禁止の看板

 

喰丸トンネル 昭和村方面

トンネル入り口にはスノーシェード

喰丸トンネル 美里村方面

トンネルを越えて、間もなく木造の古い校舎があるのを見つけました。

旧喰丸小学校で、昭和12年に建築され昭和55年に閉校。地元の方々の思いから旧校舎は解体されず、平成30年から交流・観光の拠点として新たな役目を果たしているそうです。校舎内を見学することが出来ました。

 

平成25年に公開された映画「ハーメルン」では、この喰丸小学校を舞台に撮影されたそうです。

 

NO.37 博士峠 標高1092m   福島県会津美里町ー昭和村 2022.8/17

博士峠は、博士山と三引山との鞍部にある峠。幕末に、会津藩兵や官軍兵が行き来した歴史ある峠だそうです。名前の由来はその昔、侍が太刀を腰に佩(は)かせて尾根伝いに登ったことから、また尾根に建っていたお寺の山号であるからなど、諸説あります。

近くには絶滅が危惧されるイヌワシの生息地もあるほど山深い所です。

冬季は積雪が多く通行止めとなるため、トンネル工事が進められていて2023年度に完成予定。

 

今回はかなりの長距離を走ること、午後から雨の予報であることから車で早朝に出発。白石インターから高速を使い会津若松へ。その後国道401号線で最初の峠に向かいました。



峠道は、道幅が狭い上対向車が多いので、特にカーブはゆっくり慎重に進みました。

トンネル工事の現場では、たくさんの工事関係の車があり、急ピッチで進められている工事の様子を見ることが出来ました。完成すれば、トンネルは長さ4.5km。バイパスは7.5km。この狭い山道を通らず、冬でも冬季閉鎖は無くなるので地元の方は本当に助かると思います。

峠に博士山に続く登山道の入り口がありました。

 

博士峠 昭和村側

会津美里町

ここで車がまた不調に。

バッテリーを交換して7年ほどになりますが、最近アイドリングが安定しないことがあります。この峠でも、エンジンが止まりそうになり、ラジオかエアコンを止めると安定するので、博士峠以降はなるべく余分な電気を使わずに進むことにしました。

 

 

 

 

NO.36 中山峠(堺田峠) 標高349m   宮城県鳴子町山形県最上町 2022.8/7

松尾芭蕉は、中山峠のある堺田村に1689年太陽暦7月1日の夕暮れに到着。梅雨時の風雨により「封人の家」へ2泊3日にわたって逗留しています。そのとき残した俳句

「蚤虱(のみしらみ) 馬の尿(しと)する枕元」は、よく知られています。

また、峠近くの堺田駅前に、水が太平洋側と日本海側に分かれる中央分水嶺があります。東(宮城県側)は江合川旧北上川を経て116km下り石巻市の太平洋へ。

西(山形県側)は小国川、最上川を経て102kmを流れて酒田市日本海に注ぎます。

 

山刀伐峠から中山峠へ向かいました。

赤倉温泉から国道47号線に出て右折。陸羽東線の鉄道と併走します。

間もなく堺田駅に到着。ここは上記のように駅前に中央分水嶺がある珍しい場所です。

こんな小さな川がここで太平洋側、日本海側へ分かれ、それぞれ100km以上にわたり長い道のりを経て海に流れでる。そして、広い海のどこかで、もしかしたらまた出会うのか、、。

堺田駅の近くに「封人の家」がありました。ここで、神戸から自転車で旅をしている方と会い、しばらく話しをしました。昨年退職し、電動自転車で日本を旅する夢を実行されている方でした。神戸から飛行機で花巻空港まで来て、しばらく東北を走るそうです。うらやましい😸

峠周辺に、封人の家や中央分水嶺があるなど見所が多い場所です。特に、分水嶺のあたりは遊歩道が大変綺麗に整備されていました。


ただ、「中山峠」の標識がどこにも無いのが残念。地元の方に聞いても分かりませんでした。

山形県

宮城県

この後、鳴子から大崎市を経て家へ向かいました。約280kmの行程でした。

大石田で美味しいそばを食べたこと、東北を自転車で旅する私と同年代の方と出会えたこと、歴史ある3つの峠を越えたことなど、また良い思い出を作ることが出来ました。

 

 

 

NO.35 山刀伐峠 標高390m   山形県尾花沢市山形県最上町 2022.8/7

峠の形状が「なたぎり」に似ていることから名付けられたそうです。また、刀を持った山賊が道行く人を襲ったことに由来するという説もあります。

この峠を越えるにあたり、芭蕉が泊まった「封人の家」の主が、山賊から芭蕉を守るため屈強の若者を護衛につけたことが「奥の細道」に記されているそうです。

芭蕉が歩いたのは、元禄2年(1689年)、門人曽良(そら)とふたりで歩いた距離は全行程2,400km。その中で山刀伐峠は最大の難所と言われ「高山森々として一鳥声聞かず、木の下闇茂りあいて夜行くがごとし」と芭蕉は記しています。当時の大変さがよくわかります。

 

尾花沢側から峠へ向かいました。峠の登り口に旧道の入り口を発見。時間に余裕があれば自分の足で登ってみたいです、、、。

暑さのためかアブがたくさんいて、車のドアを開けるとどんどん入って来るので参りました。

 

山刀伐トンネル 舟形町

尾花沢側

舟形町側の旧道入り口

次は、「封人の家」がある「中山峠」へ向かいました。

 

NO.34 猿羽根峠 標高150m   山形県尾花沢市山形県舟形町 2022.8/7

猿羽根は「さばね」と呼ぶそうです。歴史は古く、奈良時代より道があったとされ、多賀城から秋田城へ向かう峠道として存在していたとされています。

奥の細道で有名な「松尾芭蕉」もこの峠を越えたそうです。峠の頂上には地蔵尊堂があり、「日本三大地蔵」のひとつとされ、良縁・子宝・長寿にご利益があるとされています。

 

 

大石田でそばを食べた後、肘折温泉から「十部一峠」へ向かっていましたが、工事中で通行止めの看板があり、予定を変更し、この峠へ向かいました。

 

峠への道

道はなだらかで走りやすく、標高が低いので短時間で峠のトンネルに着きました。

有名な方が越えた峠のようです。

 

尾花沢市

舟形町

松尾芭蕉が越えた峠をあと2つ越えてみることにしました。


 

 

 

 

NO.33 栗子峠 標高950m   福島県福島市山形県米沢市 2022.4/22

国道13号線は、福島市から秋田市へ至る全長約300kmの道であり、このうち福島・山形の県境に位置する峠です。奥羽山脈を越える厳しい自然環境の中にあり、冬季は2mを越える積雪が通行を困難にしていました。

明治14年、延長876mの栗子隧道が完成。明治天皇を迎えて開通式を行い「万世大路」の名を賜りました。

昭和に入り、車社会になると時代に合わなくなり、もっと低い位置でのトンネルが必要となりましたが、トンネル延長が6キロ近くになることが予想され、換気等の問題を考慮し、東西の2本のトンネルが計画され、昭和36年に着工、昭和41年に完成したそうです。このため、豪雪のため閉ざされていた冬季5ヶ月間が解消。通年交通が可能になりました。

 

国道121号線から米沢市内で国道13号線へ。栗子トンネル方面への路は万世大路とも呼ばれているようです。

西栗子トンネルに到着

旧道の栗子峠(隧道)はこの道の上にあたります。全長2675mの長いトンネルです。

トンネルを抜けました。

交通安全を祈る観音様

栗子トンネルの入り口です。

福島市側へ抜けました。

山には残雪が残り、山桜が咲き、冬と春が一緒になっているようです。

今回は、猪苗代湖を時計回りで一周し、7つの峠へ行ってみました。

ほとんどの峠が旧道となり通行止めで廃道化が進んでいるのは、時代の流れから仕方のないことです。

この4月から、非常勤の仕事を始めて時間的な余裕が減り、峠へ行く機会が減りましたが、またチャンスがあれば出かけたいと思います。

 

 

NO.32 大峠 標高1,210m   福島県喜多方市山形県米沢市 2022.4/22

30年以上前、ヤマハXT500というバイクや車で何度か越えた峠です。

当時はくねくねのカーブが延々と続く大峠という名前にふさわしい道でした。国道121号線にあり、米沢街道とも呼ばれています。

旧道は、特に山形県側が断崖絶壁に近いところがあり、過去には死亡事故も発生。峠付近は積雪5mを越える豪雪地帯で、冬季の通行止めは5ヶ月以上に及んでいました。

1984年、全長3,940の大峠トンネルが完成。旧道は、廃道化が進んでいます。

 

喜多方でラーメンを食べ、十分満足。その後、国道121号線を北上し、大峠トンネルを目指しました。道幅が広く、ゆるやかなカーブが続く道を走りぐんぐん高度をかせぎました。遠い昔、カーブが途切れなく続いていた旧道の大峠の面影は少しも感じないほど立派な道になっていました。

 

ほどなく大峠トンネルに到着

米沢市

喜多方市側 旧道はこのずっと南(左)側 旧道が懐かしいです。

4月下旬ですが、雪がまだ残っています。

峠をだいぶ下ったところで、峠方面を振り返って見ました。



 

 

NO.31 黒森峠 標高630m (トンネル553m) 福島県郡山市会津若松市  2022.4/22

江戸時代、陸奥国会津郡若松と白河郡白河を結ぶ白河街道があり、黒森峠は街道上の猪苗代湖近くにあります。峠は切り通しになっており、つづら折りの道が続いていたそうですが、この峠も現在は封鎖され通行止めです。新道は黒森トンネルで越える道です。

午後2時を過ぎ、喜多方ラーメンを食べることを楽しみに、黒森峠を目指しました。

峠道の入り口に石碑がありました。

カーブが少ないゆるやかな道が続き、あっけなくトンネルに到着。

会津若松市

郡山側

その後喜多方へ

喜多方でラーメンを食べるのは本当に久しぶりでした。

今回は、「肉そば」でよく知られている店に入りました。午後3時頃でしたが店内は満席状態で10分ほど待ち、ようやく遅い昼食を食べることが出来ました。

味は最高です。本当にうまいラーメンでした。

 

以前は、会津若松で食べた「ソースカツ丼」も大変美味しく、このブログでも紹介しましたが、今回の「喜多方ラーメン」もすごく良かったです。

そういえば、今年冬に食べた、秋田の「ソース焼きそば」も最高でした。

また美味しいものを食べたときは、ブログで紹介したいと思います。

 

NO.30 至勢堂峠 標高732m  福島県郡山市須賀川市    2022.4/22

福島県中央部にあり、国道294号線(白河街道)上にあります。昔、豊臣秀吉会津入りしたとき、この峠を越えたそうです。参勤交代にも使われました。唐沢峠、三代峠、板橋峠とも呼ばれました。旧道は封鎖され、新道はトンネルがありました。

 

ゆるやかな上り道が続きます。途中、「道谷坂陣跡」の看板があり立ち寄りました。

道路脇に広場があり、もう昼過ぎなので昼食を摂ることに。車のわきにテーブルとイスを出し、コンロを用意したところで食材を家に置いてきたことに気づきました。ショック!!峠へ行くのは、山でラーメンなど煮て食べることが大きな楽しみのひとつです。

気を取り直し、喜多方でラーメンを食べることにして、出した用具を片付け出発。間もなく、旧道の入り口を見つけ行ってみましたが、残念ながら通行止めでした。


その後、国道に戻り至勢堂トンネルへ

郡山側

須賀川

このまま294号線を通り、次の峠へ向かいました。

 

 

 

 

NO.29 三森峠 標高808m  福島県郡山市ー猪湖南湖南町    2022.4/22

三森(さんもり)峠は、江戸時代の頃から利用された古い峠です。

旧道は、1962年開通の三森隧道で越えていたが、現在は通行止め。

隧道工事の際、遺跡が発見され、高地性遺跡として注目されました。遺跡は保存の為、学術調査後に埋め戻されています。その上に「古代の森」が再現されましたが、三森トンネルが開通し、三森隧道は廃道化により、ここも自然に還りつつあるそうです。

 

御霊櫃峠から道を戻り、湖南町から三森峠へ向かいました。

途中、案内板が目につき、見学。「舘の大マユミ」の案内でした。

普通、マユミの幹囲は40cm~50cmくらいですが、これは3m以上もある珍しい大木だそうです。

色々なものを発見することも楽しみです。

峠へ向かう道

三森トンネル 郡山側

湖南町側

出来れば、旧道も走り、古代の村を見たかったですが、入り口は塞がれ通行止めでした。

次の峠へ向かいました。

 

NO.28 御霊櫃峠 標高876m  福島県郡山市ー猪湖南湖南町    2022.4/22

この峠も古い歴史がありました。

平安時代の後期、前九年の役源義家の家臣・鎌倉景正(景政)が当地を訪れたとき、山中の大岩に連勝と五穀豊穣を祈願した。それにより連戦・連勝が続き、東北の阿部氏を平定することが出来た。それから里の人々がその岩を御霊櫃と呼ぶようになったことから、いつしか御霊櫃峠という名が定着したという説があります。

またこの峠は、幕末の戊辰戦争で、会津藩の防衛拠点のひとつであったため、頂上付近では防塁の跡を確認できるそうです。

 

湖南町側から峠へ向かいました。外気温は11度ほど。すれ違う車はほとんど無し。

高度が上がると道端に雪が残っていました。

霧で視界が悪い中でしたが、すれ違う車も少なく、無事峠に到着。

 

郡山側

猪苗代側

ここから次の三森峠へ登山道の案内がありました。

偶然、登山者が通りかかり、雪のため郡山方面へは行けないことを教えていただきました。予定では、このまま郡山方面へ下り、そこから次の三森峠へ行く予定でしたが、予定を変更。来た道を戻り次の峠へ向かうことにしました。

 

 

NO.27 中山峠 標高525m  福島県郡山市猪苗代町    2022.4/22

江戸時代の頃、現在の中山峠の北側に楊枝峠(標高691m)があり、当時はその近くに集落もあったそうです。楊枝峠の付近には、一里塚や石碑が残っているといいます。

交通量が増え、1885年、中山峠が拓かれました。さらに約100年後の1989年(平成元年)、中山トンネルを含む現在のルートが完成。旧道は通行止めとなり、廃道化が進んでいるそうです。

 

 

朝、8時過ぎにD5で出発。地元で給油し、高速を使って峠を目指しました。

今回は7つの峠を越える予定。高速道路は、白石I.Cから乗り、磐梯熱海まで利用。そこから磐越街道(国道49号線)を通り中山峠へ向かいました。

柴田は、夜半の雨が上がり、日中は晴れで気温も20度以上と高くなる予報でしたが、猪苗代方面に来ると小雨模様で気温も下がり、冬に少し戻ったような感じでした。

 

国道49号線を通り中山峠(トンネル)へ。

峠近くで見つけたお地蔵様。

中山トンネル 猪苗代側

近くに、旧道の入り口がありました。

郡山側

 

峠道を下り、猪苗代湖へ。

湖畔の桜は、開花がこれからです。

次の峠、「御霊びつ峠」へ向かいました。

 

 

NO.26 鉢森峠 標高450m  白石市森合ー白石市沼田    2022.4/7

鉢森峠は、江戸時代には白石と下戸沢宿を結び、七ケ宿街道(国道113号線)に続く重要な道として使用されていました。白石と米沢を往復する人馬が越え、白石うーめん、紙、コウゾ、魚などの商品が運ばれ、参勤交代にも使用されました。

峠には、嘉右衛門という商人が狼害を防ぐために建てた「山の神」の碑が残っているそうです。

 

天気は曇り。家から峠までは20kmほどなので、9時頃出ても昼までには十分戻れると思い、気軽な気持ちで出発。これが大きな間違いでした。

カーナビを頼りに進み、白石市大平あたりで国道4号線を離れ森合へ。そこから山道になりましたが、大きめの石がごろごろしている上に急坂で、歩いて道を確かめてから車を進めました。入り口にはイノシシを捕るための罠が仕掛けてありました。

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急なカーブが何度か続いたかと思えば、今度は雨でぬかるんだ狭い道。片側は崖なのでより慎重に進みました。

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時々、車を降り、車が通れる道が続くのか確かめながら進みました。

途中、車の下にからんだ木の枝を取るため、車の下に手を伸ばしたとき、手の指を負傷。林道を甘くみて、非常食や薬など持ってこなかったことを後悔しました。

 

ようやく峠に到着。

山神の碑を見つけることが出来ました。

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森合側

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沼田側

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峠で写真を撮っていると、森合側から車が上って来てびっくり。

聞けば、鉢森山には天然ガスのパイプラインがあり、その点検に来たそうでした。万一に備え、倒木を切るためのチェンソーも積んでいるとのこと。

 

その後、峠から113号線沿いの小原へ向け山道を下り、国道まであとわずかというところで、なんと崖崩れ。

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狭い道でなんとか向きを変え、越河方面へ出ることに。今日は、午後から幼少部の練習があるので、間に合うか心配になりました。

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越河側へ下る道も、狭い上に荒れており、ゆっくり慎重に進みました。

ようやく舗装路に出たときは、ほっとしました。

 

帰りに馬牛沼で休憩。沼の後方に鉢森山が広がります。峠は真ん中近くの鞍部あたりか。

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馬牛沼にまつわる伝説が書かれていました。

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帰宅後、この峠越えの記録をまとめました。

今時刻は午後3時10分、これから練習です。

間に合ってよかったです。

 

 

NO.25 すずらん峠 標高399m  蔵王町円田ー川崎町大森    2022.3/8

すずらん」は、小さな鈴が連なったように咲く花で、春に開花する多年草。誰からも愛されるような可愛らしい花で、蔵王の峠にはふさわしい名前だと思います。ただ、峠のことを調べてみると、心霊現象で有名らしく、多くの目撃情報があるとのこと。

行ってみることにしました。

 

四方峠を出発。ループ状の道を走り、大森トンネルをぬけ、県道47号線に出ました。ここを遠刈田温泉に向けて左折。

道は狭く、杉並木に囲まれており、昼でも暗い感じです。

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日中なので、期待した霊現象は何も感じず峠に到着。大きなゴルフ場の入り口もありました。

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蔵王町方面

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川崎町方面

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丁度この日から、蔵王エコーラインの開通に向け、道の除雪が始まりました。

今年は雪が多く、例年より早めにスタートしたそうです。

開通したら、標高1503mの刈田峠へまた行ってみようと思います。

 

 

 

NO.24 四方峠 標高 388m  蔵王町平沢ー村田町足立    2022.3/8

羽前街道は、蔵王町宮から永野、四方峠、川崎町を経て笹谷峠へ至る道です。その歴史は古く、平安時代には既にあったといいます。城舘跡もあり、戦略的にも重要な道でした。鎌倉時代前九年の役では、源頼朝の奥州征伐の舞台となった古戦場、四方峠は昔の面影を残しており、峠の名は、「峠から四方すべてを見渡せる」ことからつけられたそうです。

 

朝、9時出発。雪道を想定し250のオフロードバイクで向かいました。

蔵王コスモスライン」の中程に道がループしているところがあり、そこに羽前街道の入り口があります。名を記した立派な標石がありました。

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入ってすぐに「通行届吟味処」と書かれた木戸がありました。

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道は、旧道と車が通れる道とに分かれました。新しい道と旧道とがしばらく並行していました。

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少し行くと雪道になりました。ざくざくの雪道が長く続くため、バイクを停め、歩いて峠に向かうことにしました。

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雪を踏みしめて歩くのは気持ちがいいですが、息が切れました。運動不足を痛感。汗をかきながら進みました。

5、600mほど進むと古戦場跡の標柱と、高見櫓(やぐら)がありました。

遠くまで見渡すことができました。今日は天気にも恵まれました。

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反対側の丘の上に、「四方坂」と「四方峠」の標柱がありました。

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湯殿山の石碑もありました。

出羽三山へ信仰のため、この道を通りお参りに行く人が当時は大勢いたのだと思います。

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四方峠は、標石や歴史を示す看板も多く、地元で大切にされている事がよく分かりました。

 

バイクを停めたところまで戻りました。

本当に静かで、「サラサラ」と、風で笹の葉がすれる音が聞こえるだけの場所でした。

少し休憩し、雪の上でバイクの向きを変え、次の「すずらん峠」へ向かいました。

 

4月17日(日)

四方峠を越え、川崎へ出てみました。峠の標柱は、地震の影響か少し傾いていました。

舗装路の跡はありましたが、道はかなり荒れていました。所々に、史跡を説明する看板がありました。前回(3月8日)は雪が多く、峠まで歩きましたが、雪はすっかり解けていました。

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史跡ひとつひとつに、説明がていねいにされていました。

時間に余裕があれば、歩くのもよいと思います。

今回は、家を出たのが午後4時を過ぎ、峠に着いたのは丁度5時でした。

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川崎側の、羽前峠入り口に無事到着。
四方峠で新型ジムニーに乗った若者とすれ違った以外は、誰とも関わることが無かったです。

 

NO.23 七曲峠 標高 290m 岩手県藤沢町宮城県登米市 2022.3/3

七曲峠という名の峠は全国にあり、特に秋田の「ゆきとぴあ七曲」は有名で、毎年1月末に結婚した男女が馬ぞりに乗り、峠を下るイベントがよく知られています。

この宮城県岩手県の県境にある七曲峠でも、以前は婚礼当日に長持ち、布団などを持ったお嫁さんの一団が峠まで行き、そこで新郎側が待つという習わしがあったそうです。

 

繰石峠から七曲峠へ。国道456号線を通り峠へ向かいました。道は2車線。峠に近づくと傾斜が急になってきました。

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「七曲」の名の通り、カーブが続きます。

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峠は、切り通しになっていて、谷の底にいるような感じがしました。
宮城県側の看板は、カッパのイラストが描かれていました。

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岩手県側は、「はにわ」のイラストが。藤沢町は、藤沢焼きという焼き物があり、野焼き祭りをやっているそうです。

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宮城県側へ少し下ったところで。右奥にカーブミラーが見えます。

岩手県側より、さらにカーブが多い峠道でした。

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NO.22 繰石峠 標高 237m 岩手県 藤沢町ー大籠 2022.3/3

繰石峠は、藤沢町と大籠との間にある峠です。県道藤沢大籠線上で、峠には繰石峠と書かれた立派な道標があります。

大籠は、キリシタン弾圧、殉教の歴史が色濃く残る地域です。

この地は昔、砂鉄を使った「たたら製鉄」で鉄を生産していましたが、生産量が増えないため、永禄元年(1558年)製鉄の技法を学ぶため、備中国(現岡山)から千松大八郎・小八郎という兄弟を呼び寄せました。このふたりが熱心なキリシタンであり、仕事の合間に布教に専念。またたくまにキリシタンの数が増えました。

慶長17年(1612年)、江戸幕府は禁教令を出しました。そのためたくさんの信者がいた大籠では、キリシタン弾圧のため309名もの多くの人々が処刑されたそうです。

現在、大籠ではキリスト教会が建てられ、キリシタン殉教公園などの施設もあります。

 

弥惣峠を出発。県道233号線を通り、薬師堂を左折し国道346号線に入りました。4~5kmほどで右折。ここで岩手県に入りました。県道295線を通り繰石峠へ。

大籠で、キリスト教殉教に関わる施設や史跡の案内板を目にしましたが、このときはまだ大籠について下調べをしておらず、そのまま通過。

自転車でも、降りずにこいでいけそうなゆるやかな坂道が続き、間もなく峠に到着。

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大籠側  Uターンしたので、来た方向を向いています。

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藤沢町方面

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峠では、キリシタン殉教公園にもどろうか少し迷いましたが、夕刻まで帰宅せねばならず、次の七曲峠に向かいました。大籠は、またいつか行こうと思います。

 

NO.21 弥惣峠 標高 270m 南三陸町登米市 2022.3/3

弥惣(やそう)の名前の由来は2つあり、ひとつは、山奥に住む弥相兄弟が入谷の住民を苦しめていたため、平泉の秀衡の命を受けた源義経が手勢を引き連れて訪れた場所ということから。もう一つは、この峠は、昔キリシタン信者の秘密の連絡路だったのでヤソ(キリスト)峠と呼ばれ、後に弥惣の文字をあてたという説があるそうです。

 

水界トンネルから398号線を志津川に向かって進み、鏡石、入谷を経て峠に向かいました。途中から電波が届かず、紙地図をたよりに進みました。

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道標が無く、人影も無く、この道でほんとにいいのかと何度も思いながら進みました。

路肩が崩れていたり、雪が残っていたりするところもあり、気が抜けません。

 

ようやく峠に到着。

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南三陸町

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登米市

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下り道に雪がだいぶ残っており、時々車を降り歩いて道を確かめてから進みました。四輪駆動を過信し、これまで何度も大変な思いをしたので、慎重にならざるを得ません。

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ようやく広いところに出ました。丁度昼頃だったので、いつものようにラーメンを作ろうと思いましたが、風があり、先の道も不安なのでそのまま出発。

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しばらく走り、ようやく県道に出ました。舗装路は安心です。次の峠、「繰石峠」に向かいました。

 

NO.20 水界峠 標高 250m 南三陸町登米市 2022.3/3

水界(みずさかい)峠は、江戸時代に主に繭の運搬をするために開かれた峠。名前の通り、西は北上川水系で、東は八幡川などで志津川湾へ流れ込んでいます。明治19世水界隧道が完成し、宮城県最古の隧道と言われました。昔は馬車や人力車も通る賑わいのある道でしたが、昭和56年に現在の「新水界トンネル」が開通。旧道は廃道になっているそうです。

 

曇り空で時々雨の予報、また峠道にはまだ雪があると思い、D5で9時少し前に出発。

岩沼市から高速を使い、130km先の峠を目指しました。

登米東和で高速から県道398号線へ。

雨で路面はすっかり濡れていました。バイクでなくてよかったです。

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ゆるいカーブの続く道を進むと、新水界トンネルが見えてきました。

少し手前に旧道の入り口がありましたが、完全にふさがれていました。

南三陸町

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登米市

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できれば、旧隧道へ行きたかったのですが、断念しました。2019年、登米市の廃棄物保管場所になっており、立ち入り禁止になっています。

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次は、未舗装路の弥惣峠へ向かうことにしました。

 

NO.19 牛道峠 標高 277.4m 岩沼市   2022.2/14

村田から岩沼市へ抜けるトンネルを越えて間もなく、「中井」という地区でこの看板を見つけました。

志賀高原ハイキングコース。よく見ると左上に「牛道峠」の名前がありました。

何も下調べをしていませんでしたが、とにかく行けるところまで行ってみることに。

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少し進むと未舗装路になりました。平坦で走りやすい道です。

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途中から、ところどころ雪道に。ゆるやかな上り道が続き、車の通った跡もあり、まだまだ行けそうです。

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「大滝」という場所に出ました。ここから道は完全にハイキングコース。「牛道峠」までは、登山道のような道です。バイクを置き、歩くことにしました。

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雪があるところは、どこを通るか迷いながら進みました。

携帯の電波がほとんど入らないようなところです。

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峠に近づくと道が良くなってきました。

自然の中を歩くのは気持ちがいいです。

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牛道峠に到着。

木立の奥に蔵王山が見えました。

道はまだ続いていましたが、峠を越えたところから引き返すことにしました。

ウサギなど動物の足跡がたくさんありました。

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いつもは車やオートバイで峠を越していますが、歩くのもいいですね。

案内板では、今回歩いた「大滝」から「牛道峠」までは500m。入り口の「中井」から「大滝」までは2.9kmと表示されていました。距離は短かかったですが、楽しい峠道でした。

今日は、家を出てから最初に郵便局へ寄りました。

そこで近所のYさんから「これから峠越えですか?」と声をかけていただき、

「いえ、ちょっと郵便局に用事があって。」と答えていたのですが、天気がいいのでバイクを走らせているうちに、この峠までやってきてしまいました。

Yさん、話しがちがってすみませんm(__)m

 

 

 

 

NO.18 小坂峠 標高441m 宮城県白石市福島県国見町  2022.2/12

小坂峠は、江戸時代は出羽から諸大名の参勤交代、御城米の輸送に用いられた重要な道。羽州街道の難所のひとつとされ、旅人の峠越えの苦痛をお産の苦しみにたとえて「産坂」とも呼ばれたそうです。

1579年11月、福島県田村郡三春城主、田村清顕の娘愛姫が、長井荘米沢城の伊達政宗のもとに嫁ぐ為、行列の一行がこの小坂峠を越えました。愛姫はまだ11歳だったとか。

羽州街道のうち小坂峠と金山峠の区間に、上戸沢、下戸沢、渡瀬、関、滑津、峠田、湯原の7つの宿場があり、「山中七ヶ宿街道」とも呼ばれ、宮城県刈田郡七ヶ宿町の名の由来にもなっているそうです。

現在、道は冬季も閉鎖されることはないそうですが、道幅が狭くヘアピンカーブが続くため、年間を通し大型車は通行禁止になっています。

 

午前11時に出発。峠まで自宅から約30kmの道のりです。

国道4号線から113号線を通り、県道40号線を経由し峠に向かいました。下戸沢あたりから雪が一段と深くなりました。

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今回も、車で来て正解でした。時折対向車もあるので、慎重に走りました。

峠の手前に萬藏稲荷の入り口がありました。参道に百基余りの朱塗りの鳥居が建っています。

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そこから間もなく峠に到着。

 

福島県

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宮城県

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峠には茶屋があり、そこから福島県側の眺めが見事でした。

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車を停めておける場所を見つけ、昼食の準備。

日差しがあったので、雪上でも少し暖かく感じました。

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外で食べると、何でもご馳走に思えます。

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小坂峠で、D5が丁度24万kmに達しました。

昔、長野県の峠を越えたところで野宿し、朝バイクのメーターを見ると丁度

12,345kmだったことがあります。本当に偶然でした。

さあ、次はどこへ行こうか。

 

 

NO.17 大沢峠 標高159m 宮城県丸森町福島県新地町   2022.2/5

国道113号線は、新潟県山形県宮城県福島県と本州を横断するように走っていますが、一番東側にある峠が大沢峠です。令和3年、4月14日に峠付近で土砂崩落が発生し通行止めの期間が続いていましたが、昨年11月にようやく開通しました。

峠の歴史は古く、室町時代の頃に開通。明治時代は馬車も通り、生糸や石炭の運搬に使われたそうです。

 

昨夜は雪が降り、今朝は雪かきからスタート。

昼過ぎには気温が少し上がり、雪はだいぶ解けましたが今回は車で峠に向かいました。

大内を過ぎてから道はゆるやかな上りになりました。いつもならダンプカーをよく見かける道ですが、土曜日の為か交通量が大変少なかったです。カーブが少なく、走りやすい道が峠まで続きました。

途中、道路脇に、大内生まれの民謡家・大内正夫さんの大きな看板がありました。

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低い峠なので、上りはじめて間もなく峠に着いてしまいました。

福島県

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宮城県

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福島県側に下ると視界が開け、太平洋まで見渡すことができました。

今回は車で正解でした。日陰になるところはかなり雪が残っていました。

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私の車デリカD5は、走行距離がもうすぐ24万kmに達します。最近、オイルの減りが早くなりましたが、他に不満なところは特にありません。運転が未熟で、側溝に落としたり、壁にこすったりしてよく見るとボコボコですが、調子はいいです。

8人乗りなので、大会など遠征のときは先生方を乗せたり、普段は、キックミットやミニハードル、救急用品などを積み、運搬車として活躍しています。林道も行くので、自力で帰ることが出来るよう、スコップやハンドウインチ、ワイヤー、油圧ジャッキなども常に積んでいます。

今年も、車やオートバイで色々な峠へ行ければと思います。

 

 

NO.16 関山峠(関山隧道)標高660m 仙台市山形県東根市2021.10/18

関山隧道は、1882年(明治15)に完成。延長287m、この隧道で馬車での通行が可能になりました。この工事にあたっては、トンネル開削用火薬の爆発事故により死者23名、重傷7名という悲惨な事故があったそうです。トンネルの前後の道路は急カーブと急勾配の連続で土石崩落や積雪・雪崩による交通の途絶が絶えなかったため、新関山トンネルが1968年(昭和43年)に完成しました。

 

天気は曇り。気温は14度ほどなので防寒対策をして10時半頃出発。

秋保から48号線に出て関山トンネルに向かいました。平日でしたが、交通量が多い上

作並を過ぎてからは、工事中のため何度が停車し、対向車の通過を待ちました。

途中、鎌倉山(標高520m)のわきを通過。岩肌がゴリラの顔に似ていることから「ゴリラ山」と呼ばれることで知られています。

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似てるかな?

出発から1時間20分ほどで、関山トンネルに到着。

 

宮城県

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山形県

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次は、旧道を目指しました。

山形県側を下りると間もなく旧道への分岐点を発見。進むと、道は間もなく未舗装路となりました。

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小さな橋を越えると本格的な悪路になりました。5年ほど前に来たときは、通行止めの柵があったため引き返しましたが、今回は無し。

雨の影響で、道路はかなりぬかるんでいました。ジムニーのような車なら楽しい道かも知れません。ところどころにガードレールの残骸があり、当時の交通量の多さを感じました。

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しばらく進むと、前方にカモシカが、、、。その後ろに関山隧道がありました。

分岐点から隧道まで約3.7km。何度か転びそうになるほどの道なので、かなり長く感じました。

驚かさないようゆっくり進みましたが、カモシカは逃げて行きました。

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入り口は柵で塞がれ入れませんでしたが、中をのぞくと水が貯まっており、崩落した部分もありました。宮城県側までのぞくことができました。トンネルを抜ける風の音が「ゴー」っと、唸るように聞こえてきました。

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上りよりも下りの方が危険です。バイクを転ばさないよう慎重に走りました。

途中にあったコンクリートの橋の上で、いつものようにラーメンを煮ておにぎりの昼食。

自然の中で食べると何でも美味いです。

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もうだいぶ前に、友人と3人で車に乗り、この隧道まで来たことがあります。

関山峠は当時心霊の話しが有名で、好奇心で夜見に行こうとなりました。

夜の10時を過ぎた頃、廃道と化したガタガタ道を私が運転し、となりと後ろの席に友人が乗っていました。最初は誰も怖がっていませんでしたが、いつの間にか霧がかかり

前がライトで真っ白になり、歩くようなスピードでそろそろと進みました。

いつの間にか3人とも無口になり、内心(来るんじゃなかった、、、。)とみんな考えていたと思います。

そろそろトンネルに出るかなと思いながらカーブを曲がったときに、友人が突然

「出たー!」と、叫びました。

目をこらしてよく見ると、霧の向こうに白く動く物体が本当に見えて、しかもだんだんこちらに近づいてきました。

(いやー幽霊ってほんとにいるんだ・・・。)と思いながら、前進もバックも出来ず、ただ動くものを見ていました。

動くものは、ゆっくりと私の運転席のわきを通り過ぎていきました。

正体は、カモシカでした。近くに来るまでなんだか分かりませんでした。

 

今日、関山隧道で新しい思い出を残すことが出来ました。

 

NO.15 二口峠 標高934m 仙台市山形市  2021.9/26

蔵王国定公園宮城県立自然公園二口渓谷を通る峠道で、沿道に秋保大滝、二口番所跡や奇岩「磐司岩」などがあります。

峠を走る「二口林道」は1978年に開通。秋保と山寺の二大観光地を結ぶ道でしたが、毎年のようにどこかが崩れ、通行止めを繰り返しています。積雪の多い冬期間も通行止めとなり、特に宮城県側は急勾配、急カーブが多く、車のすれ違いを待避所で行う区間がいくつかあります。2019年、8月にようやく全区間が舗装となりましたが、それでも崩落等で通行止めになることが多い道です。

 

この日午前中は色々と用事があり、出発したのは午後1時。雨に備え、最初から雨具を着ました。

途中、秋保大滝を見学。ここは幅6m、落差55mの直爆で、華厳の滝那智の滝にならぶ日本三名爆のひとつです。

 

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このあたりから霧雨になり、路面が濡れているのでスピードを控えめにしました。

途中、二口峠の由来が書かれた看板がありました。

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細い峠道をさらに進み、磐司岩へ。

霧の合間に見えた岩肌がすごい迫力でした。高さ80m~150mの垂直な岩壁が3km以上連なるところもあるそうです。看板には、この地域に伝わる伝説も書かれていました。

 

 

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「一度に数百人が笑ったような大声がして・・・。」とか、「突然異様な人物が現れて・・・。」とか、看板に記されています。山では不思議な話がたくさんあります。

私もこれまで、北海道から九州までバイクで旅行し、何度か不思議なものを見たり聞いたりしたことが実際にありました。興味のある方には、聞いてもらえばお伝えします。

 

頂上が近づくと、勾配がきつくなり同時に風も強まってきました。

午後3時頃、峠に到着。

 

ずっと昔、私がまだ10代だった頃、ハスラー250というバイクに乗り、友人と二人乗りでここまで来たことがあります。そのときは無謀にもここから登山道を山寺方面に向けバイクで下山。しかし途中で無理と判断し、友人と必死でバイクをここまで押し上げた苦い思い出があります。

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山形県に向け少し進むと、県境に出ました。霧が濃くなり、山形側は全く見えない状態でした。

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今回は、県境を越えたところから引き返しました。

 

NO.14 夜這路峠 標高369m 気仙沼市唐桑町  2021.9/13

夜這路峠の頂には、県内最古の地蔵尊があるそうです。名前の由来は「夜は這って越えなければならないほど道が急になっている。」と、地元の方から聞きました。

頂に立ち、この地蔵尊を見るために峠に向かいました。前の羽沢峠から距離約50kmほど。東中才という場所が峠の入り口らしいので、ナビをセット。
東中才で郵便局を見つけ、峠への道を訪ねました。
とても親切な方で、地図を出し、「ここの床屋さんと小さなお地蔵さんのあるところが入り口ですよ。」と、詳しく教えてくれた上に、わざわざ表に出て、峠のある方向を指差して場所を示してくれました。また実家が峠の麓で石工をしていて、局にある「大黒様」は縁起がいいからとおうちの方が造りここに置いたそうです。

峠の名前の由来も、

「そういう意味じゃ無くて、、。」と、笑いながら教えていただきました。

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丁寧にお礼を言い出発。
道は、間もなく舗装路が途切れました。
峠近くで道が二股に分かれていたので、左側へ進むと高い鉄塔で行き止まりになり、
反対側へ行くと、かなりの悪路になるが、また別の鉄塔で行き止まり。

 

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分岐点に戻り、地蔵尊を探すのをあきらめかけたときに、この看板を見つけました。

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近くに地蔵尊があることを確信し、歩きながら探すと藪の中に人が通った跡を見つけ、
その奥から夜這路峠の看板と地蔵尊をようやく見つけることができました。

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記録によると、地蔵尊の建立は1725年の江戸時代。当時は、ここまでどうやって運んできたのか。地蔵尊の高さは2mあるそうで、かなりの重さです。
地蔵尊の後ろには大きな杉の木がそびえていましたが、地蔵尊を囲っていた小屋は倒壊し、ばらばらになっていました。

手を合わせ、唐桑町に向けて出発。しばらく下ったところで、なんと道が大きなフェンスで塞がれていました。
鍵は掛けられておらず、ひもで結ばれている状態なので、開けようと思えば開けられましたが、引き返すことにしました。
たぶん、鹿などの動物を侵入させない為のものだと思います。

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峠から入り口までの距離を測ると、丁度5kmでした。

振り返ると、鉄塔を確認することができました。

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時刻は4時過ぎ。再び三陸道を通り家へ向かいました。

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NO.13 羽沢峠 標高330m  登米市三陸町 9/13

三陸町と登米市を結ぶルートはほとんどが峠道になっており、その最短ルートが羽沢峠です。昔から人と物と多くの交流がありましたが、他のルートに比べ道幅がせまく、北側に三陸道が走っていることもあり、今回もすれ違う車がまったくありませんでした。

登米市側から峠に向かいました。清流が道を沿うように流れる、自然豊かなところでした。

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道路脇に、地域に伝わる大蛇伝説を記す看板が立てられていました。

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峠の頂上からは、志津川湾を望むことが出来ました。

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NO.12 舟引峠 標高    m 山形市萱平ー白石市横川 9/7

昨日、友人から電話で「最近、峠へ行ってないの?記事おもしろかったよ。」とお世辞を言われ、載せることにしました。

夏の終わり頃、蔵王の山へ。

場所は、不忘山の脇の不忘山林道を経由、山形県との県境にある舟引峠。

約22キロのダートが続きます。昨年、この峠を1000c cのアフリカツインで越えたときは、2度も転倒。※このバイクは、事情により、先月売却。

次に四輪駆動のD5で行き、楽勝かと思ったら後輪がパンク。

今回は、W650という所有して23年目になるバイクで行きました。

 

天気は良いが、前日の雨で水たまりの林道をゆっくり走り峠を目指しました。

 

途中、林道わきの広場で昼食。倒れていた木をイスがわりにし、湯を沸かし、カップ麺とコンビニのおにぎりを食べていると、、、。f:id:shibatawadoukai:20210908222915j:image

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岩魚釣りに来た方が通りかかり、バイクの好きな方で、自分の所有する1200ccのバイクや釣りの話しなど、楽しい時間になりました。山では色々な動物に出会ったことがあるらしく、熊よりもイノシシの方が荒々しく身の危険を感じたそうです。

 

片付けを済ませ、出発。

W650は、ロードモデルで主に舗装路を走るのに適したバイクですが、低速でも粘りがあり、シート高も低いので少しくらい道が荒れていても平気です。時々林道を走るので、万一に備えエンジン下部にアルミ板を付け保護しています。

ただ、重いのと最低地上高が低いので、深い水たまりや大きな石などがあると、

「ガツン!」とエンジン下をぶつけるので、どこを通るか気をつけながら進みました。

 

峠が近づくと、大きめの石が多くなりました。道が右へ大きくカーブするところに差し掛かり、(ああ、去年転んだのはこのあたりだったな。)と、思うと同時に石に乗り上げて、、、

 

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あっけなく転倒。しかもまったく同じ場所で。

 

今回は、写真を撮る余裕がありました。

その後、何とか起こして、セルモーターを回すと、何度やってもエンジン掛からず。キックを踏んでもダメ。

坂道を登るのは、車体が重すぎで無理なので、なんとか車体を下に向け、押しがけをしました。

セカンドギアに入れ、スピードが上がってからクラッチをつなぐと、何とかエンジン復活。

Uターンができるところまで走り、谷に落ちそうになりながら何とか向きを変えて、あらためて峠に向かいました。

 

慎重に走り、何度も車体下を地面にこすりながらなんとか頂上到達。

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一時は、どうなることかと本当に心配しました。

 

乗用車でも、多少は底をぶつけるかも知れませんが、峠まで行けます。興味のある方はぜひ。ただし、行くならば単独ではなく数名で行かれた方が良いです。

 

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峠からは、飯豊連峰の山々がよく見えました。

 

NO.11  笹谷峠 標高906m 川崎町ー山形市 5/30    

昨日、笹谷峠を越えてきました。ここは川崎町笹谷と山形市関沢を結ぶ県境にある峠で、奥羽山脈を横断します。峠は、登山道の入り口になっています。北側に神室岳、南側に雁戸山への道が続いており、登山者のものと思われる車が多数駐車していました。峠から、宮城県側は遠く太平洋まで見ることができ、山形県側は、出羽・朝日連峰を見ることが出来ました。

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NO.10 「旗巻き峠」 標高200m 丸森町ー相馬市 

地図で見ると、阿武隈山地にある峠の北から10番目にあたる場所。

案内板に「旗巻き」の由来や、戊辰戦争の戦場のひとつであったことが記されており、砲台跡も残っていました。

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NO.9「鈴宇峠」 標高260m 丸森町ー新地町 5月18日

福田峠の南側にある峠で、丸森町大内と福島県新地町を結ぶ道路です。この道路が全通したのは2008年4月と新しいです。鈴宇峠は、鹿狼山に続くハイキングコースとして人気があるそうです。

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NO.8 「花山峠」 標高741m 栗原市湯沢市 2021 5月16日

初めて野生の熊を見ました。

山道を車やバイクで走っていて、狐、カモシカ、猿、リスなど野生動物をこれまで何度も見ましたが、熊は初めてでした。

昨日は、趣味の峠越えで6つの峠を越えましたが、そのひとつ、秋田県へ抜ける花山峠を越えて、秋田側に入り行き先が通行止めの情報があり、引き返す途中で道路右側に子熊を発見。子熊は、バイクの音に驚いたのか道路脇の藪の中に入って行きました。

 

花山峠 

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秋田側から花山峠に戻る途中で子熊に遭遇 カメラを向けたときはすでに藪の中へ

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峠近くにランプの宿で有名な湯浜温泉の入り口

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森の奥に宿が見えました。

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花山峠は国道398号線上にあり、歴史的には「湯浜街道」と呼ばれています。このルートをたどると三陸志津川へ至ります。三陸の海産物を秋田側へ輸送するためのルートでもあるそうです。

NO.7 「福田峠」 標高185m 丸森町ー新地町

新地町に「福田」という地区があり、そこから阿武隈山地に向かうとこの峠に出ます。

途中「ききわけ地蔵」と「長寿の水(いっぱい清水)」という湧き水がありました。

昔、この峠にはたくさんの狐が住んでおり、よく人が化かされたそうです。

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NO.4 明通(あきとおし)峠 標高119m 角田市ー山元町 2021.4/20

阿武隈山地の北から3番目にあたる峠。阿武隈山地には、名水とよばれるような清らかで美味しい水が湧いているところがいくつかあり、この峠も「一盃清水」とよばれる清水が湧き、入れ物を持参し持ち帰る人が多い。

峠から脇道を登ると四方山に到達する。ここの展望台からは、東は太平洋、西に蔵王連峰を眺めることができ、観光地のようになっている。

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NO.3 割山峠 標高90m 角田市亘理町 2021.4/20

阿武隈山地の峠では、最も低い峠です。海産物交易の動脈ともいわれています。

カーブが少なくて車で走りやすく、あっという間に峠を越すことができます。

峠には、採石場と産業廃棄物の処理場が広がっています。

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NO.2「箕輪峠」 標高95m             2021.4/20

角田市亘理町を結ぶ峠で、阿武隈山地の1番北側にありました。

頂上に、馬頭観音と山神様の2つの古碑があり、採石場が広がっていました。昔は、海産物を馬の背に乗せ、峠を越えていたそうです。

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亘理町

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角田市側 蔵王連峰が見えます。

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NO.1「馬船峠」 標高229m  2021 4/20・22

   

先日、体力作りを兼ねて阿武隈山地の峠道を登って来ました。

角田市亘理町の境にある「馬船(まぶね)峠」というところです。

2日前に亘理側から登り、悪路でバイクでは進めなくなり、今日は角田側から登ることにしました。

内町湖から峠に向かい、砂利道を進むと道は雨水が通った跡でバイクでも走行できないほど大荒れ状態。そこから山頂を目指して歩きました。

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40分ほど歩いて山頂に着きました。時々、キジが急に飛び立つ音に驚きましたが、新緑の山中を歩くのはとても気持ちのいいものでした。

昔は、人馬の往来が頻繁にあったそうです。今は、役目を終えてひっそりとしていました。